米国におけるキャリアカウンセリングの歴史
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職業指導運動の始まり
キャリアカウンセリングは、職業指導運動とともに始まり、中でもマサチューセッツ州ボストンのフランク・パーソンズの実践に端を発している。
| 年代 | フランク・パーソンズの動き | 
| 1905年 | ボストンの若者たちに職業選択や就職のアドバイスを開始 | 
| 1907年 | 職業指導事務所設立 | 
| 1908年 | 職業指導局を正式に開設 | 
| 1909年 | 「Choosing a Vocation(職業の選択)」を著作 | 
パーソンズの死後⇒M・ブルームフィールドが職業指導局の局長に(1917年まで)。ボストンの中学校の教師にパーソンズの若者向けキャリアプランニング指導法の訓練を実施。1910年には職業指導に関する初の全国大会を開催。
職業指導運動の拡大
| 年代 | 職業指導運動の動き | 
| 1900年代 | 職業指導局から各校へ専従の指導者を派遣して学校カウンセラーに実践指導 | 
| 1912年 | 職業指導に関する第2回全国大会。この翌年の協会設立の契機に | 
| 1913年 | 全米職業指導協会(NVGA)が結成⇒全米キャリア開発協会(NCDA)へ改称 | 
| 1928年まで | 米国東海岸中心の27都市で職業指導が学校の教科に | 
テストの開発・導入
| 年代 | テストの開発や導入 | 
| 1915年頃 | 第一次世界大戦中、軍務遂行のため、高い知能と学力ある者を選抜するためにテストを利用 | 
| 第一次大戦後 | カリキュラム実施のための知能テストや学力テスト | 
| 1930年以降 | テストの成績を履修科目や職業選択の指導に活用 | 
職業指導からカウンセリングへの移行
| 年代 | 出来事 | 
| 1929年~ | 世界恐慌(経済不況)の発生。 | 
| 1933年 | ニューヨークに職業斡旋局を設立。1万6000人が援助を受ける | 
| ①成人向けサービスと②総合的な観点での支援のはじまり。 | |
| 職業指導⇒キャリアカウンセリングへの移行 | |
| 不況の深刻化 | 国民保護部隊や全米青年本部の結成⇒教育や就職の援助活動 | 
| 1938年 | 国防の仕事に就かせるための労働者準備へ移行。メリーランド州に政府による初の職業指導機関、米国教育省に特別局設置 | 
| 1946年 | ジョージ・バーデン法によって州政府に資金、各州で職業指導機関の設置 | 
| 同時期 | 米国労働省の『職業辞典(DOT)』と『職業展望ハンドブック(OOH)』の発表 | 
| 米国雇用局が創設され、キャリアカウンセリングや職業斡旋を担当 | |
| 第2次大戦後 | 復員兵のためのキャリアカウンセリングと就職斡旋活動が緊急課題に | 
専門別カウンセラーの始まり
| 年代 | 内容 | 
| 1957年 | ソ連のスプートニクの打ち上げ成功にアメリカは危機感  理数系生徒の選抜のため、カウンセラーを公立学校に設置 | 
| 1958年 | 国防教育法の制定:大学の教授などがカウンセリング学の修士号を取得できような講座や、高校生300人に対しカウンセラー1人を育成。 | 
| ①キャリア支援から全人格的なカウンセリングへの移行と②カウンセラーの専門化 | 
職業指導の制度化
| 年代 | 制度化の動き | 
| 1973年 | 職業教育法の制定⇒5割にのぼる高校生の「おいてきぼり」生徒へのカウンセリング | 
| 1994年 | クリントン政権による「学校から仕事への機会法」:職探しの方法や仕事を確保する方法を学ぶ際の支援のため、各高校への資金援助を行う。 | 
| 1998年 | 同政権による「労働力投資法」:成人向けサービス機関の再編成、インターネットサイトの開発の予算化。 | 
| 「ワンストップ・センター」  米国職務局の各事業所やコミュニティカレッジ内にセンターを設置 | 
インターネットの普及
米国労働省では、全米一般国民が利用できる、career one stopを設置している。100万件に上る求人情報を毎日更新している。
今後の課題
①有益なアセスメントツール ②信頼できるデータベース ③専門資料や参考文献 ④職務内容や責任範囲の明確化 ⑤職務遂行上の倫理的指針 の存在などがあげられる。
米国のキャリアカウンセラーの多くは修士号を取得しており、スーパーバイザーの指導のもと、おおむね3000時間以上クライエントに接し、100時間以上のスーパービジョンを受けている。
 キャリアコンサルタント資格の取得は、あくまで専門家としてのスタートラインである。
キャリアコンサルタント資格の取得は、あくまで専門家としてのスタートラインである。